肥前磁器の伝統工芸産地である佐賀県有田。その隣町で育ちました。幼少期から絵ばかり描いていました。画家になりたくて、当時佐賀で唯一デザイン科のあった佐賀県立有田工業高等学校のデザイン科に進学。高校には窯業科もあり、同級生には窯元の子や、両親が窯元で職人として働いている子が何人もいました。毎年5月には有田陶器市があり、学校が陶器市でのアルバイトを奨励するなど、日常にあたりまえに窯業があるのが有田でした。当時の意識としては、歴史ある伝統工芸というよりも、そこに住む人たちの生活の糧としての磁器産業。実のところ、高校時代は朝から晩まで美術部の部室で絵を描く学校生活をしていて、まったく「やきもの」に興味はありませんでした。
高校卒業後、グラフィックデザイナーとして東京で就職しましたが、数年後には父親の病気のため、佐賀に帰郷しました。父は書道家であり、彼の書道塾を継ぐよう言われました。書は幼少期から特訓を受けていましたし、師範免許もとっていたので、そのような道もあったのだと思います。でも、どうしても絵を描く仕事、デザインの仕事がしたくて、断りました。ですが当時、九州・佐賀で、デザインの仕事を見つけるのはとても難しく。あきらめかけていたところに、高校時代の恩師から「やきものもデザインだぞ」と言われ、初めて肥前磁器を正面から見ることになりました。
有田焼の窯元に商品開発デザイナーとして職を得たとき、同じデザインでも、平面(グラフィック)で培ってきたものが、そのままではまったく通用しないことを思い知らされ、難しさと同時に大きな魅力を感じました。それがわたしにとっての、肥前磁器との出会いでした。また商品開発室の上司が、肥前磁器・古伊万里のマニアであり、窯元のデザイナーとして彼と対等に話をするためには、肥前磁器の歴史やモノを深く学び理解することが必要でした。彼に追いつきたくて、美術館や骨董屋に幾度となく足を運び、関連する本や資料を読みあさりました。特に九州陶磁文化館の「柴田コレクション」にはお世話になっています。
ゼロからのスタートと覚悟を決めての学び直しは、すべてが新鮮でした。意匠と造形を組み合わせて完成品を導いていく。この複雑な作業の修得に、新しい世界を発見しました。足かけ約8年、4つの肥前磁器の窯元でプロダクトデザイナーとして仕事をするなかで、わたしの基礎が作られていきました。「どのようなものを世に出すのか」そのために「どのように形を作るか」「どのように絵をつけるか」「何(材料・技術)を使うか」。陶芸材料を扱う業者さんに相談したり、窯業試験場で教えてもらったり、実際に手を動かす現場の職人さんと話し合ったりするなかで、自然と技術や知識が身に付いていきました。同じ有田焼でも窯元それぞれに特徴があり、複数の窯元を経験することで、技術的な幅も知識も広がったと思います。
肥前磁器は、江戸時代から、工程が細分化され分業制となっています。わたしは赤絵までつけるので、特に工程数が多く、それぞれに技術が求められます。分業があたりまえの業界ですが、一人ですべての工程を行っています。手間のかかる作業ばかりですが、楽しんでいます。大切にしているのは、完成したときの全体としてのまとまりで、形と文様との調和が肝であり、そこに、自分一人の手で作ることの意味・価値がもっとも現れると思っています。
わたしの肥前磁器作家としてのキャリアは「食器」から始まりましたが、磁器彫刻などの美術的な作品も、窯元勤めの頃から趣味で作っていました。幼少期からアニメや漫画の影響を強く受けて育ちましたので、プラモデルやフィギュアをつくるのは素材に関わらず好きでした。より美術的なものを、作品として制作・発表しようと明確に決めたのは、独立してから10年以上が経ってからです。それまで「器作家」として、用途のあるものにこだわっていましたが、作ること・表現することに、自分で勝手に制限をかけていたことに、気がついたのです。
例えば「Animal Boxes」シリーズは、フィギュアづくりの延長での彫像と、肥前磁器の歴史のなかでもずっと作られてきている「陶箱」の組み合わせです。こうした作品を発表した結果「Porcelain Sculptor(磁器彫刻家)」と呼ばれることになりました。なにか強い意図があってこのシリーズを作りはじめたわけではなく、自分の好きなもの、こんなものがあったらカッコいいな、を形にしたら、このスタイルになった、というのが正直なところです。個展などでお客様にお会いすると「作っている人が一番楽しんでいるのがわかる」と言われることがよくありますが、その通りです。
陶芸についても、美術についても、わたしは体系的なアカデミックな教育は受けておらず、特定の師匠もいません。時代を超えて遺されてきた名品の数々、陶芸分野に限らずあらゆる美術的な存在が、わたしの師です。その結果として、自らの五感・感性を拠り所に制作に取り組むことができるのは、最高に幸運なことだと感じています。一方で、書については、幼少期から習練を積んできました。手の延長である筆の扱い、余白の美、全体としての調和に対する感性は、書道を通して自然と身についたものです。この感覚が、書画の平面作品だけでなく、陶芸家、磁器彫刻家としての立体作品制作においても、わたしの独自性につながっています。
肥前磁器作家として守り続けているのは、伝統的な肥前磁器の表現様式を生かし続けること。表現方法において奇をてらうことなく、流されることなく、古伊万里の先人たちが遺してくれたものを、自分の個性で形にし直すことを徹底してきました。日本には「写し」の文化がありますが、写しとは劣化したコピーを作ることではなく、その「もと」を超える良いものを生み出そうとする行為だと考えます。
わたしは、美しさを感じるものを作りたいと思っています。美しいもの、愛らしいもの、手に入れた人が笑顔になる作品を届けたいと思っています。海、山、花、鳥、動物、自然にあるさまざまなものがもたらしてくれる一次体験が、創作のインスピレーションです。古いものから受けるインスピレーションも大きいです。時代を超えて遺ってきたものにはそれだけの理由があり、理屈抜きで力を感じるものがたくさんあります。器も彫刻も書画も、歴史や基本を大切にしてこそ、独自の表現が生まれ、新しい文化に昇華すると考えています。数百年後にも愛され受け継がれるものを目指し作ります。